旅行百聞は一見に如かず〜その五

梅干し作業はまだまだ続くが

旅行記が中途半端なんで

そっちを進めるよ。

柳田邦男の遠野物語

日本の民俗学の出発点のようなもの

その遠野

周りがぐるっと山に囲まれた地域

盆地のようになってる。

見渡した感覚で言うと

これくらいの大きさが

国を治めていくのに、ちょうどいいかも〜って思わせる。

地図で見てもらうとわかるかな?

右側のほうに、橋野町って書かれている。

そうなの、釜石と遠野のを結ぶ途中に橋野町がある。

んで、遠野

町全体の印象が内証が豊かだなあって事

ないしょう内証3表向きでないところ。奥の間。特に、勝手、台所。また、そのやりくり。内の経済状態。家の暮らし向き。ないしょ。内証は火の車だ

より内儀声を立てて浮諸国ばなし一

家の構えがゆったりしてるし、

大きな家だったり、立派な家だったりする。

遠野市の条例とかが制定されているのかな?

町全体の家の建て方が抑制のきいたものになってて

奇抜な形の家や、奇抜な色の家が見当たらない。

それと、道路が広い。

案内をしてくれた博物館館長さん曰く

流石は歴史研究会メンバーの皆様

遠野市博物館館長さんに遠野の案内を頼めるような間柄なのだ!

今の中心街は

根城南部氏が遠野に移封され

遠野南部氏となり、

ここで、清心尼

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この御方が出て来る。

養子の直政公は家老として、盛岡に詰めていて

遠野を収めていたのは

この清心尼だったんだよ。

今の遠野の中心街の町割りも

この時出来たもので

鍋倉城なべくらじょうは岩手県遠野市に存在した日本の城。別称遠野城、横田城。

鍋倉山に本丸1を築き、猿石川と早瀬川を外堀、来内川を内濠とした。寛永4年1627年八戸直義が横田城を修理して鍋倉城と改め、最高所を本丸としその南に二の丸、東に三の丸が配された。

遠野の立地が

海釜石から丁度、一泊する地点にあり、

尚且つ、内陸からも一泊する地点で

交通の要所、中継地点、一泊する地点で

人や物が行き交うところで、それ故に宿場町として栄えた。

話はまだまだ、続くが

今日はここまで